曾祖父 「澤田 宗山」の話

2019/09/09

以前のHPブログで、曾祖父である澤田 宗山のお話を書いたことがありました。 https://saesumikor.exblog.jp/19729879/

すると、”澤田 宗山”を検索されたご親族の方(なので、私にとっても遠い親戚にあたる方)からご連絡を頂き、貴重な家系図まで送って頂きました。
その家系図には、私の父の名前が1番下に綴られていました。

澤田 宗山のお墓の場所も教えて頂き、本当にありがたいです。
少し落ち着いたら・・お墓参りに行きたいと思っています。

澤田 宗山の略歴

曾祖父である澤田 宗山は、1881年、明治生まれの芸術家です。
大正~昭和にかけて活躍した陶芸家、図案家(今でいう”デザイナー”)として知られています。

友禅図案(デザイン)、看板、ポスター、お酒のラベル等数多く手掛けています。
1921年には大蔵省の依頼を受け、50銭硬貨のデザインを手掛けました。

京都美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)卒業後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)図案科に入学。
在学中の1904年に京都市の留学生として渡米。
ニューヨークのコロンビア大学美術学部より招聘を受け、教鞭をとっていた事もあるそうです。

帰国後、京都に澤田図案研究所を設立しました。
「月桂冠」のラベルを大正時代にデザインしています。

月桂冠黒褐色四号壜ラベル

大正9年に京都伏見桃山に陶窯を築き、陶器を主とする作陶を始めました。

皇室との関わり、秩父宮殿下からの制作依頼や東伏見宮殿下に親しく、陶窯に御来賓される光栄にあずかった事もあったそうです。

アメリカ、インド、中国へ訪問研究にわたり、数々の要職に歴任していました。
晩年は作陶、個展に力を注ぎました。

笹鯛 茶碗

帰国後、曾祖父について聞かされる

私が曾祖父について聞かされたのは、ニューヨーク、フィンランドの11年におよぶ海外生活から帰国した後でした。

知らず知らずのうちに、曾祖父と同じ土地に縁があったのです。
曾祖父の出身地である京都で日本画を学んだ後、曾祖父に同じくニューヨークへ、渡米しました。

ニューヨーク、マンハッタンにある”Art Student League of New York”で銅版画やドローイングのクラスをとり、1年程学びました。

その後、ブルックリンにあるPratt Instituteという芸術大学に編入し、銅版画を専攻。
大学の解剖学デッサンの授業で、奇遇にも曾祖父が教鞭をとっていたというコロンビア大学に通っていました。

その時は曾祖父である澤田 宗山の存在について知りませんでしたが、今思うと、その時知っていれば、ニューヨークにいる時間は、より感慨深いものになっていたのではないかと、少しもったいない気持ちがします。

帰国後、ジュエリーデザイン制作を自営業として営みはじめた頃、澤田 宗山について聞かされました。
子供の頃から、家系に陶芸家がいるという話だけ聞かされてはいました。

京都、ニューヨークと、芸術家のご先祖様:澤田宗山が生きた地を、ひ孫の私が知らず知らずのうちにたどっていたという事・・
不思議でしたし、なんだかとても感慨深い気持ちになりました。

DNAの力

驚いたのは、澤田 宗山の図案がいくつか掲載された本を見た時です。

鹿の描かれた図案でしたが、見た瞬間に血が止まる様なショックを受けました。

DNAの凄さを肌で感じた瞬間でした。

澤田宗山 「走鹿」1931年

私の描く絵と、(なんて言ったら曾祖父に失礼かもしれませんが)構図や動物のとらえ方、特に色使いの好み等に共通点を感じました。

あまり良い例ではありませんが、Sae+Sumi Koruの”黄金の鹿◇真鍮鍛金ブローチ”です。

https://www.creema.jp/item/714001/detail

澤田 宗山の眠る場所


奇しくも曾祖父の眠る墓地は、京都で日本画を専攻していた頃、よく彼岸花を描きに通っていたお気に入りの場所・・

お墓参りに行くのが、楽しみです。

◇追記◇
2022年に別の親戚の方から連絡を受け、初見となる際、子供を連れて宗山のお墓参りに一緒に行き色々と話を伺う機会がありました。
その方のご主人は文化財の修復士というお仕事をされていた事も感慨深かったです。

なんとその方は、初めに私に家系図を送り、お墓のあるお寺を教えてくださった方の姉妹でした。


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